禁教期の1647年に集落の守り神として創建されました。﨑津集落のキリシタンは表向きは仏教徒や神社の氏子になりましたが、洗礼やオラショを密かに伝承して信仰を守り続けました。
1805年に「天草崩れ」という﨑津・今富・大江・高浜で5千人あまりに及ぶ潜伏キリシタンが発覚した事件がありました。代官所の役人が取り調べを行い、﨑津では﨑津諏訪神社の境内に設置した箱に隠し持っていた信心具を投げ捨てるように指示され、捨てたキリシタンは心得違いということで無罪放免となりました。
キリスト教解禁後の1888年に﨑津集落に最初に建てられた教会堂の跡地です。レンガづくりの当時の門柱が今も残っています。土地は信徒の所有地が提供されて建てられました。
現存する建物は1957年に建てられた修道院です。(内部には入ることができません。)
現在﨑津教会が建っている場所は﨑津集落の庄屋役宅の跡地です。昭和9年に教会が建てられるとき、ハルブ神父の強い希望でキリシタン弾圧の象徴である絵踏が行われたこの場所が選ばれました。そして、ちょうど絵踏が行われた場所に祭壇が置かれました。
「カケ」は魚の水揚げや干物作り、漁具の手入れ、洗濯物干しなど、生活・生業の場として利用される作業場です。昔は隣接する今富地区で採れた「シュロ」や「竹」などを使って作られていましたが、現在は鉄骨やコンクリートで支柱を作り、床は板張りとなっているものが多くあります。写真のカケは『よらんかな』に併設されているものです。
数軒おきに見られる海に出るための家々の間の小路を「トウヤ」と呼びます。かつては多くの家がトウヤに面して玄関を設けていて、集落内のコミュニケーションの場となっていました。(生活の場であるため、内部には入らずにご見学ください。)